「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜

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一の巻

どんなことを?

過去

品が良い

豆腐屋  








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どんなことを?
 





















 
“どんなことをしているのですか?”と、ある人に尋ねたら、
 “ダンスをして、芝居をして、それから食べるために働いています。”と答えた。
 明快だなぁ…と、少しうらやましく思った。

 “作曲をしています”と、私なら答えるけれど、
 それは心の重心の在りどころを言っているにすぎない。
 静かに作曲する時間、やわらかな心の「作曲する自分」に辿り着こうとしながら、
 私は一日の大半を、雑用の中で暮らしている。

 けれど、旅が家を出たところから始まるなら、要は心持ちではないか。
 食べて寝て起きての全ての時間を、どのように生きるかが、私の音楽を作っている。

 そういう意味で私は、“作曲をしています”と答えている。


                         2004.11

    
過去

























 
山すその町に住んでいたことがある。
 平らと思う道でも、乳母車は手を放すとトロトロと動き出す。
 体の弱かった子どもの外気浴に、私は乳母車を押して坂道を上り下りした。
 少し高いところへ行くと緑が多くなり、大きなお屋敷が並んでいる。
 安心してピアノを弾ける広い部屋と、草や木のある庭がうらやましかった。

 私が住む上下二戸で一棟の借家、いわゆるニコイチは、
 天井が薄くて、下から二階のクシャミが聞こえた。
 何度か引っ越したけれど、住宅事情は、ずっとそんなふうだった。
 音を抑えることばかり考えて、マフラーを使い、壁に吸音材を貼り、
 猿轡を咬ませたような状態で、三十年余り、私はピアノを弾いてきた。

 60歳近くなって、思いがけず故郷の広い家に住むようになった。

 時々とても不思議な気持になる。
 門の前の落ち葉を掃く私の心の中に、山すその町が見える。
 坂道には乳母車を押して、昔の私がいる。

 過去と現在が、
 私の中で並んでいる。

                        2004.11


品が良い


























 “私って可愛い?”と、母にきいたことがある。
 母は一瞬考えてから“あんたは品のい〜い顔をしてるから…”と言った。
 それ以来、「品が良い」という言葉にこだわっている。

 どことなく品の良い感じのする植物を、庭に見つけた。
 前の年に芍薬が咲いたあたりで、葉の切れ込みも似ている。
  かもしれない…と思って、毎日大切に水をやった。

 30センチくらいで、ふっさりと両手を広げたような形になった。
 楽しみに待ったけれど蕾はつけないまま、50センチを越して、
 60センチ近くなると、葉の緑がくすんで、何だか暗く重い感じになった。
 もう芍薬なら咲いてよい丈だけれど、何事もおこりそうにない。
 ふと、“これ以上伸びると手に負えなくなるかもしれない”という、
 今までとは違った考えが頭に浮かんで、抜くことにした。

 引っ張ってみたがビクともしない。
 鍬で掘ると、ゴボウを紅くしたような太い根が、
 水道管のように縦から横にL字に伸びていて、
 40センチほど掘り進んだが、こちらの気力と体力が尽きて、
 後は無理やり折って引っこ抜いた。

 「品の良い」という言葉には、微かに何か、差別的な響きがありはしないだろうか。


                          2004.11

    
豆腐屋










































 
その豆腐屋は、昼ごろ店を開ける。
 小さめのガラスケースに、厚揚げ、薄揚げ、ふっくら大きな昔風のがんもどきが並ぶ。
 洗い上げたコンクリートのたたきの向こうの小部屋の上がりかまちに、
 黒い膝丈の長靴が一足、むこう向きに揃えて脱いである。

 声をかけると、肩の四角い小ぶりな老人が、
 背中を丸くして二つ折れになって、鳥のような格好で、ゆっくり出てくる。
 たぶん、九十を過ぎているのではないだろうか。

 ある日、前を通るとシャッターが半分下りていた。
 入り口をふさぐように、自転車が横付けになっている。
 ガラスケースの前にも、ゴチャゴチャと物が置いてあった。

 一ヶ月ほど、そんなふうだった。
 あの歳だもの、もういけなくなったのだろう…
 もっと度々、買うのだったと悔やんでいたら、ある日、店が開いた。
 寄ってみると老人が居て、前より十ほど若返って見えた。

 月に二度くらい、私は豆腐屋に寄るようになった。
 老人は、あれからずっと元気だ。
 身ごなしはゆっくりだけれど、大儀そうには見えない。
 年齢に逆行して若くなってゆくようにさえ見える。
 「小父さんは、だんだん若くなるのね。」と、
 冗談半分に言いかけて、私はやめた。

 誰が、だんだん若くなることが出来るだろう。
 昨日は出来た事が、今日は辛くなる…そういう思いを、
 乗り越え乗り越え、彼は毎日を生きているのではないか。
 年齢に逆行して若返ってゆくような気がするのは、
 私が傍観者であるからに過ぎない。

 確実に進む老いに、しおしおと従うのでなく、虚勢を張るでもなく、
 来る日も来る日も、坦々と仕事をしているこの人を、支えているものは何だろう。

 先生はいるけれど、レッスンは受けられそうにない。
 私の前に、豆腐を掬う老人の、清々しく刈上げた白髪の頭がある。


                        2004.12


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