「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


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芝生その後


グルーミング

つる

そして「鶴」








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芝生その後


  昔の仲間と手が切れず、母の形見もついには…などというと人聞きが悪いが、
  そういう話ではなく、前にも書いた我が家の庭の芝生
のこと。

  野草の小さな花々を、私は退治するに忍びなくて、芝生はその後、
  愛らしい幼馴染たちに乗っ取られて、野原になりつつある。
  

  いまはカタバミの黄色い小さな花の盛り。ジシバリは、まだ見ない。
  星型の苞をつけたトキワハゼと、糸のように細い茎につくムラサキゴケの、
  薄紫と白の唇型の花が咲き始めている。この二つの花は、とても似ている。
  髪を探るように指で茎をたぐってみると、小さな平たい葉っぱが見えて、
  あ、こっちはムラサキゴケ…とわかる。

  3ミリほどの青い星型の花をつけて、芝生一面にタツノオトシゴのように
  立った姿が、去年可愛いかったキュウリグサは、今年は、それらしき草が
  一向に花を着けないので、違ってたかな?…と少し抜いてしまった。
  今やっと咲き始めて、早まって抜いたのを後悔しているところ。


  ニワゼキショウは、もう少し背が高い。10センチほどの茎に、黄色の○を囲んで
  6枚の尖がった「花びら&ガク」が着く。薄紫に濃紫の縞が小生意気な感じ。

  ヘビイチゴは、家のはオオヘビイチゴという種類らしくて、実も花も大きい。
  ブルーベリーほどもあるので、毒の無いのを確かめた上で味見してみた。
  「ヘビ…」とか「カラス…」とかいうのは、人の食べ物でないという意味らしい。
  呆れるほど、味というものが無かった。

  このヘビイチゴが、名前の確認のために参考にしていた山野草のサイトに無くて、
  グーグルで新たに検索したら、出てきたのが武庫川流域の野草を集めたサイト。
  これには驚いた。武庫川の流れる宝塚に、私は二十代から30年以上住んでいた。
  武庫川河畔の想い出は、言い尽くせない。


  薄緑の毛羽立った茎に、毛糸で作ったような花をつけるのは、ハハコグサ。
  中学のときの夏の学校の、浅間で買った押し花の手帖で名前を憶えた。

  ドクダミは、白い雫のような蕾をつけている。ネジバナはまだ見ないけれど、
  それらしい濃い緑色の葉があるから、そのうち茎をのばしてくるだろう。


  濡れ縁の下に、ムラサキカタバミが一群れ咲いた。スイバとも言うらしい。
  カタバミをそのまま大きくした感じで、色は紫というよりピンク。
  クローバーのような葉が、ふっさりとやわらかい。

  二株くらいだったタンポポも、綿毛を摘まずにおいたら、ずいぶん増えた。
  ヒメジョオン…というと聞こえが良いが、子どもの頃の呼び名でいえば貧乏草…は、
  芝生の周りの沈丁花や柘榴の下から、観客席に陣取ったように首を伸ばしている。


  折りたたみの物干しに載せた丸い平らな笊には、バラの花びらが一杯。
  乾かして瓶に入れてとっておいて、紅茶と合わせてローズティーに。
  垣根の下から移したミントも、ずいぶん大きくなった。

  旅行より、何より、この庭が好きだ。

                       2007年5月15日



    ★ 野草の名前は下記のサイトで確認しました。

      「山野草・自然の造形を楽しむ」 「武庫川大探検・春の野草」

     〜文中の野草の名を記します。検索で花の写真と解説が見られます〜

      カタバミ・ジシバリ・トキワハゼ・ムラサキゴケ・キュウリグサ
      ニワゼキショウ・ヘビイチゴ・ハハコグサ・ドクダミ・ネジバナ
      ムラサキカタバミ・タンポポ・ヒメジョオン



グルーミング


  食パンが一枚、賽の目に切り分けられて素焼きの皿に載っている。

  禿げ頭をキッチリと手拭いで包んだ祖父の親指が、チューブの腹を圧しながら、
  パンの上を一めぐりすると、しぼり出されたクリーム状のものが、ギラッと光る
  粒になって、暗緑色の真珠のように並んだ。

   “ネズミのゴチソウ”

  祖母が言う。つづけて母が言う。

   “さわっちゃだめよ毒だから。ネコイラズっていうの”

  クリームは殺鼠剤。鼠が食べると死ぬ。
  鼠退治は猫の役目だが、これがあれば猫はいらない。
  薬で済むからリストラとは可哀想だが、昔は猫も実用品だった。

   *     *     *

  十八、九の頃、おじさん達のランチにお付き合いしたことがある。
  大学の休みごとに宝塚に行って、歌劇団でピアニストのアルバイトをしていた時で、
  可愛がって下さる作曲の先生のお供で、お仲間の集まりに同席させて頂いた。

  場所は道頓堀川の橋のたもとのビヤホール。今もあるかもしれない。
  中年に足をかけたところ…みたいな男性ばかりの中に、一人だけ女性連れが居た。
  遅ればせの新婚だそうで、リポーターの梨元サンの一頃みたいなボッチャリした顔を
  ニヤつかせている。梨元氏はハンバーグ定食、パンを注文した。

  料理が運ばれてくるや、連れの女性がナプキンを広げて、梨元氏の首に結わえた。
  ひたと寄り添ってパンを取る。一口大にちぎって皿に並べてから、その一つ一つに
  こんもりとバターを塗りつけた。

  御満悦の体で、梨元氏はバターの載った親指の先ほどのパンを口に運ぶ。
  周囲のトーンが一瞬落ちた。ネコイラズみたい…と私は思った。

   *     *     *

  愛情表現には様々な形がある。
  動物の場合は、種ごとに決まった形式があって、サルなら毛の中の虫を捕る仕草、
  カラスの場合は嘴の届かない頭の羽毛を整えてやる仕草なのだそう。
  毛づくろい、羽づくろい、グルーミングとも言う。

  虫を捕ったり羽毛を整えたりは、対象が幼体の場合、実際に必要なケアだけれど、
  成体の間で行われる場合は、目的ではなく、仕草に意味があるらしい。

  仲間うちの親愛の情の表現、メスからオスへの愛情表現、そしてサルの場合には
  ボスへの忠誠心の表現でもある。例えばニホンザルの場合、ボス猿が若い猿の前で
  ゴロンと横になるのは、毛づくろいを要求して忠誠心を確認する行為なのだそう。

   “オレたち仲間だよナ”
   “このヒト、ワタシのよ”
   “ワタシはアナタサマのものでごさいます”

  …とでも訳そうか。

  人も動物だ。最もベイシックな愛情表現の形態を否定することはできない。
  でも“このヒト、ワタシのよ”と“ワタシはアナタサマのものでございます”で
  終わってしまうのも、人間として色気がない。

  プラスアルファは、なんだろう。


   
   ★ 文中のカラスについては、コンラート・ローレンツ著、日高敏隆訳
     「ソロモンの指輪」(早川書房)を、サルのグルーミングについては、
     「幼児活動研究会・日本経営教育研究所」のサイト、ニホンザルの項を
      参考にしました。



つる


  小さい頃に「つるの恩がえし」の民話を読んだ。
  中学のときに、木下順二の「夕鶴」を読んだ。
  漠然とした疑問が、種のように心に落ちて、根を下ろした。

  あれはどういうことなのだろう…と、ずっと、考えるともなく考えながら、
  中学を出て、大学を出て、親元を離れて就職して、結婚して、子どもを生んだ。

  40代で、一生書くことはないと思っていた音楽を、再び書くようになって、
  50代でギター合奏曲の委嘱を受けた時に、ずっと考えてきたあのことを、
  音で描いてみたいと思った。それがギター合奏のための組曲「つる」。


  初演の成蹊大学ギターソサエティー第34回定期演奏会のプログラムに
  載せた解説に、次のような言葉を添えた。

     人には曲げようと思っても曲げられないものがある。
     それが「自分」だと、私は思います。学生である皆さんが、
     世の中へ「自分の姿」で飛び立って行かれるように
     祈りつつ、この曲を贈ります。


  どういうことなのだろう…という気持は、これで終わったはずなのに、
  私は今また、笛と楽琵琶で「つる」を作曲をしている。
  書き換えではなく、どういうことなのだろう…の更なる続き、
  今の私が書く新しい「つる」だ。


  機織りをする女が、鶴になっているのを見て、若者は驚く。
  人は精魂込めて何かをするとき、本当の自分に立ち返るのではないか…
  漠然とした疑問に、ときどき、ふっと答が与えられる。
  そうすると曲の先が、すっと見えてくる。


  作曲をしながら私は、つるの物語のことを考え続けている。



そして「鶴」


  七月から書いていた笛と楽琵琶の曲を書き終えた。

  題は迷ったが、漢字の「鶴」にした。
  同じ題材で書いたギター合奏曲は平仮名で「つる」。
  気持の違いが文字を変えた。

  八つの楽章には「一」「二」と漢数字をあてた。
  はじめは「ゆき」「つる」「いろり」と内容を表す言葉をあてたが、
  書き進むうちに、似つかわしくない気がしてきた。

  人生は過ぎてみて初めて、“あれは雪だった”“あの場所は囲炉裏だった”と
  見えてくるものではないだろうか。そのときは昨日につづく今日であることしか、
  人には見えない。この曲も、それと同じようにしたいと思った。


  前の「つる」と、新しい「鶴」の一番の違いは、描かれている鶴の数だ。
  ギター合奏曲の「つる」は、群れからはぐれた鶴が群れに帰ってゆく話だった。
  こんどの笛と楽琵琶の「鶴」では、鶴は一羽で現れて、一羽で去る。
  その違いに気がついたのは、書き上げてからだった。


  納得していただけるかどうか。私は書いている間は、自分が何を考えているのか、
  何を言いたいのか、自分でも分からない。書き上げた後で、だんだんと自分の
  言いたかったことが見えてくる。



  創作は独りですること。
  どんなに愛する人も、手伝うことはできない。
  年月を重ねて、それが覚悟として定まってきた。

  私は私の空を翔ぶ。

  だからこそ、友情も愛情も私にとって今、
  以前にも増して、かけがえのないものに思われる。




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