「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


 
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七の巻

お正月

お出入り(節分)

カルメン

凧あげ


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お正月






















































































  羽根つきは音が好き。

  凧は今も、あげに行きたい。
  だれか付き合ってくれませんか?

  カリカリに痩せた小枝のようなオバァサンになったら、
  目出し帽をかぶって少年に変装して、凧あげをして、野宿する。


  子どもの頃のカルタは色々あったけれど、
  やっぱり、いろはカルタが好き。

     “あたま かくして しり かくさず”

  カルタの絵の男は、町人髷の頭を抱え、
  褐色のお尻の真ん中に、ふんどしが黒く描かれていた。


  折込都々逸(どどいつ)は、たぶん我が家だけの遊び。
  ラジオの「とんち教室」でやっていたのを真似た。
  い・ぬ・ど・し…などと、決めた文字を頭に読み込んで、

     “いつも こたつで 
         ぬくぬく ひるね
             どこか いこうよ
                  しんねんは”

  …などと、七・七・七・五のリズムにまとめる。


  百人一首は、運動神経では勝てなかったが、和歌が好きになってから強くなった。
  十二単のお姫様の絵が好きで、いつか手元に美しいのを持ちたい。

  好きな歌は崇徳上皇の

      “せを はやみ いわに せかるる たきがわの
            われても すえに あわんとぞ おもう”

  “たごのうら…”は、万葉集にある元の形のほうが好き、
  中学の国語の授業で、比べた解釈を習った。
  元の形のほうが素朴で、映画のカメラ移動みたいな動きがある。

      “たごのうらゆ うちいでみれば ましろにぞ
            ふじの たかねに ゆきは ふりつつ”

  田子の浦ゆ…の「ゆ」は、経由の「由」で、「田子の浦を通って」の意。
  百人一首のほうには、この「ゆ」が無いから「田子の浦は」になってしまうそう。


  トランプは「神経衰弱」と「足し算」
  「足し算」は父に習った。他の家でしているのを見たことが無い。
  真ん中に札を積んで、開いて置くのが4枚、各自に4枚ずつ配る。
  置かれた1枚または数枚の和と、手元の1枚の数が、イコールになれば取れる。
  イコールになる数が無ければ、手札から加えて数を作る。
  この数の作り方に駆け引きがあって、下手をすると他の人に取られてしまう。


  お元日の朝は、祖母がお年玉に添えて、半紙に盛ったお菓子をくれた。
  めったにもらえない大きな板チョコを、めいめい1枚ずつ貰ったりする。
  喜んで朝から食べつづけていると、昼すぎには舌がおかしくなって、
  チョコレートは、すっぱいような味にしか感じられなくなる。

  嬉しかったものが「何でもなくなる」のは、幼心にも微かに空しく、
  お正月ごとにそれを繰り返して、もしかして私は、
  ポッチリだけ、ニヒルな大人になったかもしれない。


  
    ところで、お正月に美味しいお味噌はいかが?
      幼馴染みの一人が、美味しいお味噌を作っています。
      江戸の伝統百二十余年の味。五代にわたるお味噌屋さん。
      ホームページは、こちらです。


                        2006.1.1


      
お出入り(節分)



































  この寒空に出てゆけというのは、あんまりだ。

  生きることに伴う困難が大きかったからだろうか、
  昔の人の言うことは、単純かつ残酷だ。


  それにしても…どうして虎の皮なのだろう?
  防寒のためにしては、鬼はフンドシ一つで、あとは素裸だ。

  自分の強さを誇示する為だとすると、全員虎の皮というのが、うなづけない。
  「欲しいなぁ…と思いつつ、まだ虎を捕まえることの出来ない若い鬼」とかが、
  居ないところをみると、あれは鬼の制服で、フンドシは官給品なのだろうか。
  虎は大きい。フンドシは小さい。一匹仕留めれば、ずいぶん沢山作れるだろう。
  風貌や金の足輪から見て、鬼のふるさとはインド辺り…虎の皮は手近な材料だ。


  女の鬼というのは、たまに戯れ絵のようなもので見るものの、原則として居ない。
  (鬼女は別の系列に属するのではないか。こちらには精神性が感じられる。)
  鬼は里から女をさらって来る…とすると鬼と女の間に子どもが出来るはずだが、
  ハーフの鬼という話を聞かないのは、鬼の社会が男系社会だからだろうか。
  腹は借り物、母は八百屋の娘でも、宿したお種は将軍様の御子という、あれ。

  追われた鬼は、どこへ行くのだろう。
  豆の届く範囲は限られている。律儀に遠くまで行くのもいるだろうけれど、
  軒下で半刻ほど待って“もう良かろう…”と戻ってくるのも居そうだ。
  追う方も、新たな鬼に入り込まれるよりは、顔見知りの方が扱いやすい。
  “これも仕来たりだから、ごめんよ”などと宥めて、裏口から入れてやったり…

  弥生三月、出入りの鬼が、雛壇の支度を手伝っていたりしそうな気もする。


                              2006.2.1


カルメン

















































  パソコンが、おかしくなった。
  三回に一回しか立ち上がらない。
  作曲には使っていないが、ホームページが困る。
  素人療法は自信がないので、修理に出した。

  何もかもミュートにして使っていたのに、
  パソコンが消えたら家の中が、しんと静かになった。

  カルメンみたいな女性と一緒に暮らしていた男性が、
  ある日、彼女に出て行かれてしまったら、こんな感じだろうか。
  “どうしよう!”と思いながら、微かに、ほっとした。


  空いた時間で、久しぶりにゆっくりと家の中を片付けた。
  選択→保存、選択→削除。現状に上書きする作業はパソコンと共通だ。
  自分がポインタになって、家の中をドラッグして歩いているような気がする。
  苦手だった片付けが、知らない間にレベルアップしているのに気がついた。
  バーチャルで訓練した結果が、アナログに置き換わったらしい。


  インターネットのお蔭で、パソコンの向こうには人が居る。
  道路ぎわの家で、窓を開け放って暮らしているような気がしないでもない。
  様々な印象がザワザワと目に飛び込んでくる。見えた景色は事実と空想の混合物だ。
  クリック一つで世の中への扉が開くような気がするのは、バーチャルの誤解だが、
  メールや情報の送り主は、印象どおりであるにしろ無いにしろ、ちゃんと存在する。
  パソコンから伝わる温もりには、ウソとホントがミックスしている。

  パソコンの中では、何もかも軽々と動く。
  この軽さに慣れてしまうと、現実が重く感じられる。
  アナログの世界は、容易には動かない。

  パソコンを閉じた瞬間に私が、一種の悲哀を感じることがあるのは、
  潜水夫が水から上がる瞬間、あらためて体の重さを感じるようなものかもしれない。
  現実が動かないから始めたホームページは、弱者の、せめてもの発信だ。
  頼みの発信源が故障して、修理に半月以上かかるような話だったので焦った。


  何のことは無い1週間ほどで、パソコンは戻ってきた。
  メモリも消えず、まだ当分は使えるそうだ。


  カルメンが帰ってきた。アナログはその分押しのけられて、
  少しばかり「うつつ」の抜けた生活が、再び始まりつつある。


                            2006.3.15


凧あげ


  望みかなって凧あげをした。

  江戸凧をあげるのを見る会があって参加。
  見た後で子どもにビニール凧が配られて、その後、大人にも
  “ご自分でおあげになりたい方は、どうぞ”と声がかかったので、
  真っ先に手を出して、五つほどあった紙凧の一つをせしめた。
  風が強くて、手渡された凧はそのまま一気に空へあがった。

  糸を繰り出そうとしたが、思いのほか短い。
  おまけに糸の終わりが、糸巻きに結ばれていなくて、
  指に一巻き絡めて用心しながらあげていたのだけれど、
  風に煽られたとたん、絡めた糸がスルッと抜けて、凧が放れた。

  走って追いかけたら、テーンと転んだ。
  はずみで足が背の方に上がって、体が海老のように跳ねた。
  芝生の上だったから、何ということもない。
  凧は50mほど先に落ちた。

  走り回って楽しんで、30分くらい経って、
  自分がメガネをかけていないのに気がついて、青くなった。
  凧あげ1回で2万円は高すぎる…!!!

  メガネとは間もなく再会できてホッとしたが、もう一つ、
  頬のメガネの縁のさわる辺りが、打ち身になっていた。
  自動販売機のジュースの缶で、こっそり冷やしながらお弁当を食べた。

  十一違いの妹をダシにして新宿御苑であげて以来、四十余年ぶり。
  カンは失われていなくて、風との対話は楽しかった。

  またいつか行きたい。


                       2006.4.1



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