関西と関東・橋渡し文化人類学


西

に生まれて西に住んで〜

東京阪神間 7頁目



@だいたい
Aおあがり
 Bみたいなもん

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関西と関東の違いを
37年間 関西に暮らした 東京っ子が
独特の角度から検証!

 


執筆者はこんな人







 @ 
だいたい


“ボクのはナ、だいたいヒョウジュンゴやデ”

友人が、のたまう。

“どこが〜ぁ”と言いたくなるのを辛抱して分析する。


@「ボク」のアクセントが、ナマっている。
A「…ナ」というのは関西弁である。
B「…や」も「デ」も関西弁である。

そもそも彼の頭にヒョウジュンゴとして意識されているのは東京弁で、
NHKのアナウンサーの用いる「標準語」ではない。


関西人の心の底には、ヒョウジュンゴへの密かな憧れがある。
東京に転勤して1年もすると、“このごろすっかり東京弁になっちやってネ”と
ニコニコしてたりする…「chatte」が「chiyatte」になっているところが御愛嬌だ。

ちなみに、「ちゃって」は東京では「普段着言葉」だ。
かつて中曽根首相が国会の答弁で「…しちゃって」と発言したことがあって仰天した。
中曽根氏は群馬県で生まれ育った人だ。東京人なら「してしまって」と言っただろう。
親しみのある言葉遣いを狙ったのかもしれないが、東京人は、改まった場では決して
「ちゃって」「しちゃう」といった言葉は使わない。


さて、「ボク」のアクセントだが…

東京育ちの私の耳には、はじめボが低くクが高く、つまり(↓↑)と聞こえた。
東京人のアクセントは(↑↓)だから逆…と理解したのだが、友人は違うという。
(↓↑)ではなく(↑↑)だと言うのだが、私には全然そうは聞こえない。
“もうエエやんか…”と言うのを、お願いして何度も繰り返して頂いて観察した。

前にも書いたが、関西弁は母音が長い。
更にその長い母音が途中でクネるように微妙に上下に動く。
ゆっくり言えば「ボークー」でなく「ボ〜ク〜」みたいな…
それに微かな(↓↑)が加わる。

一番近いのはフランス語の「beaucoup」だろうか。
「防空」と聞こえては間違いだ。


「ナ」や「や」や「デ」は単純に置き換えることが出来る。
このセリフを東京弁に訳してみよう。

“ぼくのはネ、だいたい標準語だヨ”

“ぼくのはサァ”と訳す人もあるかと思うが、これは関西人の犯しがちな間違いだ。
まず、東京人は“サァ”ではなく“サ”と発音する。もう一つ言えば「サ」は「ナ」と
使われ方が微妙に違う。「ナ」より更に雑な、着崩した言い方とでも言おうか。
どうも関西人は、「サァ」をつけるのが東京弁と思っているフシがある。


それはともかく、実はこの訳、これで完成ではない。。
最も心して訳すべきは、「だいたい」という部分なのだ。
ここを理解するために、この言葉を東西の用法に従って標準語に置き換えてみよう。

 関西人…“僕の(言葉)は、
大まかに見て標準語です”
 東京人…“僕の(言葉)は、
ほとんど標準語です”

更にこれを、数値に置き換えてみよう。

 関西人…“僕の(言葉)は、
60%ぐらい標準語です”
 東京人…“僕の(言葉)は、
90%ぐらい標準語です”

そして更にセリフ全体を、それぞれの理解する所に従って、詳しく言い直してみよう。

 関西人…“僕のは、

      大まかに見て、標準語らしい感じの
      
言葉遣いですよ”

 東京人…“僕のは、
      
まだ多少不完全なところはあるかもしれないけれど、
      ほとんど標準語と言って良い
      
言葉遣いですよ”



関西に「ほかす」という言葉がある。「捨てる」の意で、漢字を当てれば「放下す」。
東京には同じ言葉は見当たらないが、こういうのは外国語と同じ。単語として一度憶えて
しまえば難なく使いこなせる。困るのは、この「だいたい」のような、双方に同じ言葉が
ありながら、意味するところが微妙に…時として非常に…違う場合だ。


夫婦が、それぞれの解釈に従って理解したつもりでいて、何十年も経ってから誤解に気が
つくなんてこともあるんです…とは、関西人の友人の、東京人の奥さんの述懐。
さて、どんな誤解かしら?




まぁ誤解したマンマでもナンでも、何十年も仲良く一緒に暮らしてこられたのなら、
結構なことじゃないですか…なんて言えるのは、他所様のことだからかしらん?







 A 


お彼岸に、おばあちゃんがオハギを作る。

 “さあさあ、たんと おあがり”

 “いただきま〜す!”

お膳にお皿を並べて待っていた孫たちが、甲高い声で叫ぶ。

ちなみに、秋のお彼岸に作るのが、オハギ(お萩)、
春のお彼岸に作るのを、ボタモチ(牡丹餅)と言うそう。


こういう場合の「おあがり」は、英語に訳せば「take」。

「たんと おあがり」 は 「 Take it enough , please .」
「お風呂、おあがんなさい」=「 Take a bath , please . 」などとも使う。

ちょっと昔っぽい感じのする言い方ではあるけれど、
ここまでは、東京でも、つい最近まで聞かれることがあった。
家によっては今も聞かれるかもしれない。
単に「おあがり」とも言う。


さて、この「おあがり」に、別な形容詞を付けてみよう。
「よろしゅう おあがり」。こうすると用法も意味も全く変わってくる。
先ほどのドラマの同じ場面を、セリフを変えて御覧頂こう。


お彼岸に、おばあちゃんがオハギを作る。

孫たちがパクパク食べる。
食べ終えた孫たちが、甲高い声で叫ぶ。

 “ごちそうさま〜!”

 “よろしゅう おあがり”

おばあちゃんが、ニッコリして言う。


ここまで読んで、“え?…なんかヘン”と思ったら、貴方は東京人だ。
あなたが東京人のオヨメサンなら、困惑して呟くだろう。

 “おばあちゃん、ボケちゃったのかしら?
  ごちそうさまって言ってるのに、‘おあがり’だなんて…”


関西人の貴方は逆に、“なにがヘン?”と戸惑うだろう。
貴方にとって、これは、ごく普通のセリフでしかない。


「よろしゅう おあがり」は、省略形だ。
例の友人の、東京人の奥さんは、お姑さまに問いただしたらしい。

“ちゃんと言ったら、どうなるんですか?”
“よろしゅう おあがり やしとくれやす…やなぁ〜”

それじゃヤッパリ「よろしく 食べて 下さい」じゃないの…と、
腑に落ちない顔をしていたが、無理もない。37年間を関西で過ごした私も、
この言葉だけは、未だ完全な理解には至っていない。

「よろしゅう」=よろしく→良い感じに→満足するように→充分に
「おあがり」=食べて

…ここまでは、分かる。この先を、今日は解明してみたい。

仮に、これに小さな「ィ」を付けて考えてみてはどうだろう?
東京人の耳ではヒヤリングが出来なかったが、あの「おあがり」は、もしかして
小さな「ィ」によって伸ばされ、微かに語尾が上がっていたのではないかしら?

 “よろしゅう おあがりィ?”


「おあがり」は「おあがりやす」の省略形だが、
「おあがりィ?」は「おあがりやしたやろか?」の省略形…いや、
「おあがりやしとくれやしたやろか?」の省略形。さすればこれは疑問文だ。


ドラマに戻ろう。

 “オハギ、たんと おあがり”
 (オハギ、たくさん、食べなさい)

 “ごちそうさまぁ!”
 (ごちそうさまぁ!)

 “よろしゅう おあがりィ?”
 (充分に 食べましたか?)

 “おなか いっぱいヤ ほな 遊びにいってくるワ”
 (おなかが いっぱいです それでは 遊びにいってきます)

…と、まあ、こんなところだろうか。
東京なら「お粗末さま…」と言うところ。
関西人の貴方は“お粗末さま…ってナニ?”って思うだろうか。



そうは言っても東京人の私は未だに、「よろしゅう おあがり」と言われると、
反射的に「イタダキマ〜ス!」と叫んで、再びお箸を取り上げたくなる。
これはもう、刷り込み×条件反射…みたいなものだから、如何ともし難い。






 B 
みたいなもん

十代のころバイトで出入りしていた、さる劇場の楽団の控え室。
全員が出ずっぱり…というわけではない。手の空く時間が長いと楽員さんは、
オケ・ボックスを抜けて、将棋をさしたりダベッたりしに、控え室に戻ってくる。
入口の机のとこに室長さんがいて、世話係みたいなことをしていた。


 “タケやん 帰りに一杯いこか?”

 誘われてるのは二枚目のドラマーさん。

 “酒みたいなもん、呑みとない…”


お酒のようなものは、呑みたくありません…とは、へぇ…真面目な人なんだなぁ…と
感心していたら“チャウ、チャウ”と室長さんが否定した。

 “あいつ、呑ンべや”

タケやんは二日酔い。本日に限り、呑みたくないのだそう。
そういえば、ほんとに呑めないとき、関西人は別な言い方をする。

 “ワシ 呑めまヘンねん…スマヘンなぁ…”

「スマヘン=すみません」で、「私は呑めないんですよ…すみませんねぇ」の意。
ちなみに「ワシ」は、関西では老人でなくとも使う。ワタシの詰まったのがワシ
という感覚が、今も生きているせいだろう。「ワッシ」と発音する人も居る。
東京の男の子って、親しくなると突然“オレな”なんて言い出したりするでしょ?
関西ではあれが“ワシなぁ”になるわけで、「ワシ=お爺さんの一人称代名詞」と
思っている東京の女の子なんか、ちょっとビックリしますよネ。


話を「…みたいなもん」に戻そう。
「…みたいなもん」は直訳すると「…のようなもの」になるはずだが、そうでもない。
私の感じでは、「…なんか」の方が訳として近いのではないかという気がする。
けれど近いだけで、イコールかというと、そうでもない。

ものすごくヘンな言い方になるけれど、「…みたいなもん」と言うとき、関西人は
時として、かすかに身をよじる。視線が、これまた微かに揺らぐ。「…なんか」は
スッパリと否定する言葉だが、「…みたいなもん」にはスッパリとは割り切れない
何かがあって、これを言う関西人を、アッチとコッチから引っぱっているらしい。


 “男みたいなもん、イラン…”
 “ヨメハンみたいなもん、どうでもエエねん…”


思うに、この言葉には、愛憎半ばする気持が籠められているのではないかしら。
お酒は大好き…でも本日二日酔い…こんなワタシに誰がした…

 “酒みたいなもん、呑みとない…”



あ、うっかり書いてしまいましたが、この「ヨメハン」って言葉、東京の女性には
抵抗が、あるんですよね。関西の男性は“なんでや?”って不思議がりますが。

実は今月号で、この「ヨメハン」を取り上げようと思ったのですが、いやこれが
難しいったら…英訳を探そうとした第一歩で、つまずいてしまいました。
まぁ、ゆっくり、じっくり、行きましょう。





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