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友の会・ティールーム・カタツムリの内緒話
~ かたつむり出版・パソコン史 ~
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P.2 企画から出版へ 楽譜 お勉強 サイズ問題
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【企画から出版へ】
<かたつむり企画>と名乗っていた時期があります。
今でも、CDや楽譜を註文して下さった方にお送りする郵便振込の用紙の加入者名は
<かたつむり企画>になっています。堀江はるよのマネージメントをする事務所だし、
コンサートも継続的に開催するつもりだったので「企画」と名乗ったのですが、
もう一つ、ちょっとした遊び心もありました。
芭蕉の弟子に宝井其角(たからい・きかく)という人がいます。
赤穂浪士の大高源吾の俳諧の先生で、討ち入り前夜に橋の袂で、ひょっくり源吾に
出くわして…云々というのは芝居の作り話ですが、源吾の友人ではあったらしい。
実は、ここから先は99%、たぶん私の勘違いです。
カタツムリの連想能力の高さ?を笑いながら、お読み下さい。
* * *
この其角という名前に「かたつむり」という意味があると中学の授業で聞いたような
…確かではないのだけれど自分としては、そういう説明を聞いた記憶があるように、
私は思っていました。それで「企画=キカク=其角=カタツムリ」と、語呂合わせで
「かたつむり企画」が「かたつむり・カタツムリ」という、ダブった名前になる…
まぁ前途多難な状況にあって、気分だけでもそんなふうに遊んでみるのも楽しいかな
と考えて、<かたつむり企画>という名前に決めました。
ところがです。以来ずっと探していますが、その「其角=かたつむり」を裏付ける資料が、
どこにも見当たりません。今回またネットで、あらゆる角度から、目が痛くなるほど検索
しましたが、何も出てきません。「中学の授業」は私の勘違いだったのでしょうか!
* * *
其角さんは、いろんな名前を持っています。
その中に螺子(ラシ=たにし)、螺舎(ラシャ=たにしのいえ)というのがあります。
仲良しの友だちに英一蝶という人がいて、この人は其角の絵の先生で、俳諧の弟子です。
前の名前がタニシで、お友だちがチョウチョ。近いところまで来てはいるんですが…。
其角さんは、かたつむりの句も詠んでいます。
あらそわぬ 兎の耳や かたつぶり
文七に 踏まるな庭の かたつぶり
かたつぶり 酒の肴に 這わせけり
かたつむりに、かなりの親しみを持っていた人らしいということは分かりましたが、
確かに聞いた…と思っていた「其角=かたつむり論」の存在を裏付ける資料は、
ついに、それらしき手がかりさえも、見つかりませんでした。
あれってユメだったのかしらん?
間違いだとしたら、これって、ずいぶん創作的な間違いですよね。
どうしてそんなことを思いついちゃったのでしょうか?
どなたか、何かご存知でしたら教えて下さい。
* * *
それはさておき、「企画」と名乗ったのは失敗でした。
名乗ったとたんに、作曲家→同業者…と認識を改められたのかして、
ガラッと、お付き合いの感じの変わったお出入り先がありました。
あの頃の堀江はるよさんは、作曲家にしてはマメに人中に顔を出していたので、
演奏家さんとのお付き合いを利用して、本式に企画事務所を始めるのだろうと
勘違いをされたのかもしれません。
そんなことが出来たら、私も嬉しかったのですが、カタツムリには資本がありません。
580円のドンブリ物を前に首をかしげているのでは、可能性以前です。
風あたりを避けて「企画」から「出版」に名前を変えました。
出版は、大資本から、地下道で箱を首に提げて詩集を売っている方達まで、
業界の幅が広いせいでしょうか。以後、そういうことはありませんでした。
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【楽譜】
まずCDを作って、それから楽譜を出版して、そしてコンサートをする…
フツーは、そういう順で世の中にアッピールしてゆくのだそうです。
“貴方のは順番が逆です”と言われました。どうりで…確かに苦労しました。
私の場合、世の中への最初のアッピールは、コンサートでした。
「第一回・堀江はるよの作品によるコンサート」です。
その会場のロビーで、初めて「楽譜」を販売しました…CDは、ずっと後です。
楽譜と言っても、手書きの楽譜をコピーして無地の洋紙の表紙をつけただけです。
買って下さった方は、正味、私の楽譜(付加価値ゼロの)を買って下さったのでした。
コンサート会場で楽譜を売る…という発想は、実は、宝塚歌劇の真似です。
母親が少女歌劇のファンだったので、我が家ではよく宝塚歌劇を見ました。
出し物は、お芝居とショウの二本立て、どちらにも「主題歌」というのがあります。
感傷的で憶えやすい主題歌は、気持の盛り上がる場面ではスターによって切々と歌われ、
フィナーレでは様々にリズムを変え、歌い手を変えて、華やかに繰り返されますから、
観客の耳にすっかり入り込んでしまいます。
二つの演目を見終わって、蛍の光ならぬ「さよならのうた」に送られて扉を出ると、
ロビーでは、本日の脚本と「主題歌集」が売られています。観客はそれを買って帰る。
ビデオの無かったあの頃、ファンは家で繰り返しシナリオを読み、記憶と楽譜を頼りに
主題歌を歌って、観劇の余韻を楽しむのでした。
“あんなふうに楽譜を買ってもらおう!”と思ったのですが、これは失敗でした。
当日のプログラムは、楽器の曲ばかり。楽器って誰でも弾けるわけじゃありませんよね。
コンサートで演奏されるような曲を、帰ってから弾いてみよう!…なんて思うお客様は、
そんなに多くありません。積み上げた楽譜は、思うようには売れず…
…と、ここまで書いて、“いや、物事は正確を期さねば”と、記録を調べてビックリ!
なんと、楽譜の売り上げが「47000円」と書いてあります。
ギターの楽譜が2種類、リコーダーの楽譜が3種類、ピアノの楽譜が2種類、合わせて
7種類の楽譜の価格は800円から1300円まで、平均して1冊1000円としても、
47冊は売れていたことになります。あの日のお客様は108人でしたから、これは
中々の数字です。それなのに“売れなかった”“失敗だった”と思い込んでいたなんて、
いったいあの頃、カタツムリは、どんな数字を夢見ていたのでしょう!!!
1993年のあの日から、13年10ヶ月が過ぎました。
駆け出しのカタツムリには、見えないものが沢山あったんだなぁ…と、今思います。
「楽譜だけの楽譜」を買って下さったお客様、ありがとうございました。
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【お勉強】
出版については、小曲集「はるのむこうへ」の巻末エッセイにも書きました。
このサイトにも「2000年までの私」として載せました。合わせてお読みください。
* * *
バロックザールでのコンサートが終ると、売り物の楽譜が一山残りました。
カタツムリはアタッシュ・ケースに楽譜を詰めて、セールスを始めました。
ライブハウスやコンサートの打ち上げなど、人の集まるところへ小まめに顔を出します。
興味を持って下さりそうな方に出会うと、名刺を出して自己紹介。アタッシュ・ケースを
開いて楽譜をお目にかけます。
やってみて間もなく、「こりゃダメだ」と思いました。商品の体裁がお粗末すぎます。
そこのコンビニでコピーしてホッチキスで留めても、大して変わらない物が出来るのに、
それを定価800円とか1000円とか…自分でも「高いなぁ~」と思ってしまいます。
音を聴いてもらえない楽譜には見た目も大切と、身に染みて感じました。
そういう反省に基づいて作ったのが、リコーダー曲集の「ハーメルン」と「空の下」です。
セールス・ポイントの自筆譜がアマチュア演奏家にも読みやすいように、サイズはB4判。
表紙にはシックな茶色の紙を使い、リコーダー奏者の小林達夫さんにお願いして、演奏の
参考に、短い解説も入れました。
この楽譜は、小林さんのコンサート会場でも、売らせて頂きました。
“うまく出来た!”なんて、しばらくはカタツムリ、鼻をヒクヒクさせていたのですが、
これも商品として落第…と気がつくのに、大した時間はかかりませんでした。
作曲者のプロフィルが載っていない。
解説者のプロフィルも載っていない。
出版社についての情報、住所・電話番号が無い。
サイズが大きすぎて、楽譜屋さんの棚に入らない。
フツウの家庭の本箱にも入らない。
ページ・ナンバーが入ってない。
…いやぁ、難しいもんです!
ちなみに、当時はメールもホームページも普及していなくて、
出版物にURLやメールアドレスを入れる習慣は、まだありませんでした。
楽譜は菊倍判という、225mm×305mm、又はそれに近いサイズが多いのです。
カタツムリが印刷をお願いしたのは、出版関係の印刷会社ではなく、図面や会社関係の
印刷物を主に扱う、コピー印刷の会社だったので、サイズは、A4、B5、B4という
ふうに決めるのが、用紙の裁断の面から都合が良かったのですが、これは販売の面からは、
とても具合の悪いサイズだったのですね。良い勉強をしました。
* * *
余談ですが…
冬季オリンピックのスキーの選手に、原田雅彦さんて方、いらっしゃるでしょう?
お世話になったコピー印刷会社に、あの原田選手に似た若い社員さんが居ました。
たぶん一番若かったからでしょう。カタツムリの持ち込んだ、いささか畑違いの仕事の
担当にさせられて、初めは、かなりマゴついたようですが、間もなくカタツムリ出版の
社外スタッフのようになってくれました。
カタツムリの奇抜な思いつきにも、その割には乏しい予算にも、メゲずに付き合って、
“それじゃ、こうしたらどうですか?”と威勢の良い声で意見を出してくれます。
チャレンジ精神旺盛で人情に厚く…阪神大震災の時には、とっさに愛する奥さんと
赤ちゃんの上に身を伏せて、我が身で家族を庇った直情型熱血漢でもありました。
よく朝早く、尼崎の工場街を通って、始業前の会社に打ち合わせに行きました。
ハラダさんは残業と早朝出勤でフラフラになっているはずなのに、いつでも飛び切り
元気の良い声で迎えてくれました。カタツムリも心身ともにフラフラだったのですが、
ハラダさんの笑顔と声で、元気になりました。ありがたかったです。
ハラダさん、どうしてるかなぁ…
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【サイズ問題】
楽譜は菊倍判が多い・・・と書きました。
でも、ある時期までは、そうとも言えなかったのです。
カタツムリが楽譜の出版を始めた1994年頃は、変わり目だったかもしれません。
それまでは、大きな楽譜を良く見かけました。
たとえば、子どものための教則本「メトードローズ」。
良く知られている「バイエル」がドイツ系なのに対して、こちらはフランス系です。
サイズは259mm×349で、アップライト・ピアノの譜面台を堂々と占領。
小さな子どもだと、ページの上のほうは、見上げて弾くような感じです。
総じて外国版の楽譜に大きなサイズが多かった気がしますが、カラー印刷が手軽になるに
つれて、日本の出版社からも、子ども向けの、大きくて美しい絵本のようなピアノ曲集が
出版されたりしました。東亜音楽社発行「ピアノ絵本シリーズ・自然と動物たち」という
曲集の中の①と②、「春・夏」「秋・冬」が、いま私の手元にあります。
井内澄子編。絵あり、お話あり、選曲も編曲も良く、見ても弾いても楽しい曲集です。
ただ、こういう大きな楽譜は、市販の子ども用の手提げには入らないんですよね。
楽譜に合わせて、お母さんに特大のお稽古バッグを作ってもらったりしました。
そんなこんなが、いつのまにか菊倍判が主流になったのは、楽譜製作ソフトが出来て、
パソコンで作られた譜面が出版に使われるようになったからではないでしょうか。
A4が210mm×297mm、菊倍判が225mm×305mm。
パソコンで製作した楽譜は、菊倍判に納まりが良いのです。
* * *
それまで印刷楽譜の原版は、職人さんの手作りの芸術作品でした。
楽譜浄書の仕事は、五線を引くところから、始まります。
それから、その上に音符の玉の部分や記号ををハンコで捺してゆきます。
スラーはもちろん、音符の縦棒やシッポも手描きです。
手紙を書くときに、字配りって考えるでしょう?
譜面も、字配りならぬ「音符配り」を考えて作ります。
字配りの上手な手紙が読みやすいように、楽譜も音符配りが良いと読みやすい。
熟練した職人さんによって作られた譜面は、努力して目を凝らさなくても、音符が
こちらへ向かって流れ出してくるようで、ス~ッと読めます。
そういう楽譜が、柔らかな紙質の広々したページに、ゆったりと置かれているのが、
外国版の楽譜の魅力でした。いま手元にあるので、サイズを測ってみましょう。
263mm×340mm。これは実は、かたつむり出版の名前で製作した4巻の曲集、
「堀江はるよギター曲集」と同じサイズです。
カタツムリは、梅田の老舗の楽譜屋さんに並んでいた美しい外国の楽譜に憧れて、
このサイズを選んだのですが、その時すでに、歴史は動いてしまっていたのですね。
楽譜製作は人の手から離れてパソコン上の作業となり、サイズの主流は、この後、
菊倍判に変わってゆきました。カタツムリの選択は、一拍遅れでした。
* * *
予算があったら、職人さんの浄書による楽譜で「堀江はるよ作品集」を出したかった
…というのが、カタツムリの本音です。楽譜浄書については、興味深い、面白いお話が
沢山ありますので、いずれ稿を改めて書かせて頂きます。
★ いずれ稿を改めて書かせて頂こうと考えていた楽譜浄書のお話、
ときたま連載の「楽譜ばなし」として、掲載を始めました。
こちらからどうぞ。
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石原功さんプロフィル&楽譜ばなし
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