じゃなくて

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メイン頁「カタツムリの独り言」も
お楽しみ下さい。


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P.1
@はじめに
A朝起きて
B天使のガウン




P.2
@お湯その一
Aお湯その二
B朝ごはん
C子どもの職業



P.3
@納豆売りの小母さん
A小母さん・つづき
B朝の道
C朝の道・つづき



P.4







去年の暮れに予告いたしました新連載、いよいと始めてみようかなぁと、
タイトルを入れ、壁紙をを選んで、ポチポチとキイを叩いております。
エンピツなめなめ…みたいな感じ。
そういえばこの頃、エンピツをなめる人、いませんね。


[はじめに]


あさ おきて かおを あらって はを みがいて 
ごはんを たべて がっこうへ ゆきました。

…なんて書いちゃいけませんよと、作文の時間に習いました。
そういう当たり前のことでなく、自分の目で見たことを書きなさいって。
十年が一昔なら、6.4昔前に生まれた私が、小学生だった頃のことです。

でも最近、子どもが朝起きて学校へ行くの、当たり前じゃないです。
洗うのは顔だけじゃなくて、髪の毛もだったりするし。
歯を磨くのはゴハンの後ですよね

あの頃もチューブの歯磨きはありましたが、我が家では、ハミガキコを使ってました。
茶色のガラスの壷に入ったピンクの粉で、使うときは歯ブラシを軽く濡らして粉の表面に
押しつけます。はじめはサラサラして白っぽい粉が、家族6人が毎日、濡れた歯ブラシを
押し付けているうちに、水分を含んでネトネトして、歯茎みたいな色になりました。

子ども用の歯ブラシが、どんなのだったのかは思い出せません。
今みたいなカラフルな歯ブラシが出てきたのは、いつ頃からだったかしら。
祖父や父が使っていた歯ブラシには、タヌキの毛が使われていました。ほんとです。
白い柄に、薄茶と焦茶の染め分けみたいな毛が植わっていました。
どこかで今も売っているかもしれません。


いろんなことが変わりました。
あの頃と今とでは、「ふつう」が、ずいぶん違います。
そのことを書きましょう。昔じゃなくて、ついこの間のお話です。



  第一回を読んで下さって有難うございます。
  さて、これからどんなことになりますやら、まだ見当もつきません。
  一つだけ決めました。自分の目で見たことだけを書こうって。
  井戸の中からのリポートです。

    皆様に喜んでいただけるコーナーになりますように!  

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、出来の悪い作文のルールに従って、お話を始めましょう。
あさ おきて かおを あらって はを みがいて… まずは顔を洗う前から。


[朝起きて]


あの頃は、朝起きると窓を開けましたね。冬でも開けました。
家の中が寒いので、特に風のある日でなければ、開けてもそれほどは変わりません。
考えてみると夜は暖房がありませんでした。火の用心で、夜は火の気がありません。
祖父母の布団には、布の袋に入った茶色の陶器の湯たんぽが入れられてましたけれど、
私たち子どもは、自分の体温だけで温まって寝ていました。

窓を開けると向かいの屋根の上が、雪で真っ白だったりします。杉並にある我が家から
晴れた日は富士山が見えました。空の真ん中にプリンみたいに、富士山の上の方だけが
ポッカリ浮かんで見えます。薄い寝巻きをヒラヒラさせながら物干しから眺めました。


パジャマじゃなくて寝巻きでした。もっと小さい頃は、ピンクと白の縞のパジャマを着て
いた覚えがありますが、それが小さくなってしまうと、母が寝巻きを縫ってくれました。
あのパジャマは、父がどこかで見つけてきたのでしょう。戦後まだ数年。今のように町で
手軽に買う事は出来なかったはずですから。小さくなってしまっても次が手に入らない。
それで母が縫ったのでしょう。まあ、高いお金を出せば、あったかもしれませんが。


母の手製の寝巻きは、縞の「人絹」で出来ていました。レーヨンの一種。あれは今で言う
アセテートでしたね、一反の反物を上手に繰りまわして、娘の私のと自分の大人用のとを
裁ち出したので、母子ペアスタイルでした。ブルーの濃淡と臙脂色のトカゲみたいな色の
縞の生地で、シャゴシャゴして、ピカピカして、着るとヒンヤリしました。
暖かなネルの生地が手軽に手に入るようになったのは、もう少し後だったのでしょう。
形は着物とガウンの折衷型で、袖も裾もヒラヒラと広く出来ていました。


大奥のお局様の「腰巻」というスタイルをご存知ですか? 初夏の装いで、打ち掛けを
腰に巻くようにして着付けます。堅く綿を詰めた細い帯に通して広げられた袖と、長く
後ろに曳いた裾が、腰から下に豪華なラインを作ります。シンデレラやマリーアントワ
ネットのドレスの感じに、少し似ています。

朝、目を覚まして、先に起きて階下へ行ってしまった母の寝巻きを枕元に見つけると、
私はそれを、自分の寝巻きの上から、お局様の「腰巻」よろしく巻きつけました。
そしてお姫さまになったつもりで裾を曳いて歩く…窓の縁に腰をかけて外を眺める…
ほら!…お向かいの瓦屋根の向こうから、王子さまが白馬に乗って駆けてくる…
物干しのバルコニーから私は歌います〜ラララ〜  朝の楽しみでした。


 この次ぎは、チーちゃんのネグリジェのお話をしましょう。


  先日、幼馴染みのチーちゃんに電話しました。

  “ホームページに、あの頃のことを書こうと思ってるんだけど、

   そうすると、どうしてもチーちゃんが出てくるよネ、いいかしら?
   名前が出るのイヤだったら、好きな名前考えてくれたら、それで書くけど…”

  “えー、かまわないわよぅ。
   もうチーちゃんっていっても、わかる人いないんじゃない?”

  それから二人で、いろんなことを思い出して、キャッキャと笑いました。
  キーちゃんとかピーちゃんとかいう名前にしなくて良くて、うれしいです。
  子どもだった私のあの世界は、チーちゃんという名前ぬきには考えられません。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで皆さんは、人絹が天然繊維なの、ご存知でした?

横文字で言うとステープルファイバー。日本式に略してスフとも言いました。
木材パルプや綿の実の産毛のコットンリンターパルプなど、天然素材から作るので、
湿気を吸うし通気性も良い。あざやかに染まって光沢が美しいなど、良い点は沢山
あるけれど、水濡れに弱いのが欠点でした。

スフの着物にスフの日傘で歩いていたお嬢さんが、にわか雨にあって、傘は小さく
なる、着物の裾は短くなるで難儀した…なんて話も聞きましたが、本当だったのか
冗談だったのか分かりません。

合成繊維が作られて、セミの羽のように美しく透き通ったナイロンが出まわるように
なったのは、エリザベス女王の戴冠式の少し後くらいでしょうか。肌の透けて見える
悩ましいネグリジェが庶民のものになったのは、それより後のお話。
チーちゃんのネグリジェは、それより前のお話です。



[天使のガウン]


チーちゃんの家は我が家から2分くらいのところにありました。
一人っ子のチーちゃんは親子3人のサラリーマン家庭。幼稚園が一緒でした。
チーちゃんのお母さんは勉強家で、いろんな新しいものを我が家に紹介してくれました。
ネグリジェも、その一つです。

“…ネクリジェっていうのよ…”

くけ台を並べて針仕事をしながら、チーちゃんのお母さんが、私の母に話しています。
そういえば「くけ台」も、この頃は見られませんね。3〜5cm×50cmほどの木の
板に、30cmくらいの木の棒を、開くと直角に立つように取り付けた裁縫用具です。
板の方を坐っているお座布団の下に敷き込んで使います。縫う人の右に棒が来るように
して、棒の先に付いたクリップに布を挟んで左手で引っ張ると、目の前で布がピンと
真っ直ぐになって、それを空いた右手で縫うことができるので、便利でした。


ネットで探したら、「私たちの文京区」というサイトに写真がありました。
ページの左に名前の一覧があります。「くけ台」を探してクリックして下さい。

これは、かなり古いものですね。私の母が持っていたのは少し違います。棒の上の
針刺しは無くて、赤い塗りでした。これでスケート遊びをする話なんかもありますが、
それはまた今度。今回はネグリジェのお話です。


私が「お泊り」した日に、チーちゃんがその「ネグリジェ」を着て静々と現れたのは、
夕方もまだ明るい時間でした。テレビも無かったし、あの頃は、夕ごはんを食べたら
もうすることがないんですね。新調の「ネグリジェ」のショウ・タイムになりました。

「ネグリジェ」は、少しゴワゴワした白の木綿の、足首まであるワンピースでした。
チーちゃんは可愛い子です。色白の丸顔に茶色っぽいサラサラしたおかっぱの彼女が
着ると、白いネグリジェは天使のガウンのように見えました。私が感嘆していると、
チーちゃんは得意になってクルクル廻って見せます。胸もとにたっぷりとギャザーを
とってあるので、廻るとスカートが丸くふくらみます。

うれしくなった私たちは、まだ明るい庭に出ました。庭の真ん中に梅の木があります。
チーちゃんはネグルジェを着たまま、スルスルと梅の木に登りました。
私も登ろうとしましたが、なかなか登れません。助けてもらってやっと登ると、
チーちゃんは今度は、もう一つ上の枝に登ろうとしました。

白いものがフワッと飛んだのは、次ぎの瞬間です。“あっ”と思って見下ろすと、梅の
木の下の地面に、チーちゃんがうつ伏せになっていました。白いネグリジェがペタンと
広がって、チーちゃんは「地に落ちた天使」みたいに見えました。

下は柔らかな土だったので、どうということもなく、間もなくチーちゃんは起き上がり、
お父さんとお母さんに泥をはたいてもらってから、少し青い顔で家の中に戻りました。
それから寝るまで、何をしたのだったかしら…なんだかシュンとしてしまったのだけ、
憶えています。


いま思うと、親子3人核家族のサラリーマン家庭のチーちゃんの家に、大きな梅の木や
柿の木、栗の木、ナンテン、ユキヤナギ、アジサイ、コデマリなどが植わった庭があって
ヒマワリやダリア、ホウセンカが列になって咲いていたなんて、不思議な気がしますが、
あの頃は、それが特別なことではありませんでした。

住宅事情は、ずいぶん変わりました。
それぞれに庭のある小じんまりした家が並んでいた杉並のこの辺りに、箱に詰めた
お菓子のように軒を接して家が建ちはじめたのは、いつ頃からだったでしょうか。
庭や空き地、滅多に車の来ない通りや路地やがあって、公園なんて行かなくても
遊べたあの頃を、今の子どもたちにプレゼントしたいです。




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